建築物のエンボディド・カーボン削減に向けた設計戦略:建材選定からライフサイクル評価に基づくアプローチ
建築物のエンボディド・カーボンとは:ライフサイクル全体での環境負荷を捉える
建築物のライフサイクルにおける環境負荷は、運用段階でのエネルギー消費(オペレーショナル・カーボン)に加え、建設前段階から解体・廃棄に至るまでに排出される炭素(エンボディド・カーボン、あるいは組み込みカーボン)によって構成されます。エンボディド・カーボンは、建材の採取、製造、輸送、建設、そして解体、廃棄、再利用といった各段階で発生する温室効果ガス排出量を合算したものです。
従来の建築における環境評価は運用段階の省エネルギー性能に重点が置かれてきましたが、建築物の高断熱・高効率化が進むにつれて、ライフサイクル全体に占めるエンボディド・カーボンの割合が増加しています。特に、長期間使用される建築物や、高い省エネルギー性能を持つ建築物ほど、初期のエンボディド・カーボンの影響が相対的に大きくなる傾向にあります。サステナブル建築を真に実現するためには、運用段階だけでなく、このエンボディド・カーボンの削減に向けた戦略的なアプローチが不可欠となっています。建築設計に携わる専門家にとって、エンボディド・カーボンの概念とその削減手法を深く理解することは、持続可能な社会の実現に貢献するための重要な要素となります。
エンボディド・カーボンの評価:ライフサイクルアセスメント(LCA)の役割
エンボディド・カーボンを定量的に評価するための手法として、ライフサイクルアセスメント(LCA)が用いられます。建築分野におけるLCAは、ISO 14040シリーズやISO 14044などの国際規格に基づいて実施されることが一般的です。具体的には、以下のモジュールを含むライフサイクル全体を評価の対象とします。
- 製品ステージ(A1-A3): 原材料の採取、輸送、建材製品の製造工程における排出。
- 建設ステージ(A4-A5): 建材の現場への輸送、建設機械の使用、建設工事における排出、建設廃棄物の処理。
- 運用ステージ(B1-B7): 建築物の運用中のメンテナンス、修繕、交換、運用エネルギー消費、運用水消費に関する排出。
- 建物終了時ステージ(C1-C4): 解体、解体物の輸送、廃棄物処理、最終処分における排出。
- 負荷削減・便益ステージ(D): 再利用、回収、リサイクルによる将来的な排出削減または便益。
エンボディド・カーボンは主に製品ステージ(A1-A3)と建設ステージ(A4-A5)、そして建物終了時ステージ(C1-C4)に関連する排出量として評価されます。LCAを実施する際には、信頼性の高い環境データ(例:製品環境宣言(EPD)に基づくデータ、データベース)の活用が重要です。複数の評価ツールやデータベースが存在しますが、各ツールのデータ範囲や精度、計算方法には違いがあるため、プロジェクトの特性に合わせて適切なツールを選択し、結果の解釈には留意が必要です。
設計段階におけるエンボディド・カーボン削減戦略
エンボディド・カーボンの大部分は設計段階での意思決定によって決定されます。したがって、設計初期段階からの積極的な削減戦略が極めて重要となります。主な戦略は以下の通りです。
1. 建築形態・配置による最適化
不必要な床面積やボリュームを削減することで、使用する建材量を直接的に減らすことが可能です。また、効率的な構造システムを採用することや、プレファブ化などによって現場での加工や廃棄を最小限に抑える設計も、エンボディド・カーボンの削減に繋がります。建築の基本的な形態や架構形式の選択が、構造材や外装材の使用量に大きく影響するため、初期段階での慎重な検討が求められます。
2. 低エンボディド・カーボン建材の積極的な採用
建材そのものが持つエンボディド・カーボンを低減することは、最も直接的な削減手法の一つです。具体的なアプローチとして、以下の点が挙げられます。
- 高炉セメント、フライアッシュセメント等の活用: セメント製造はCO2排出量が大きいプロセスであり、これらの混合セメントはポルトランドセメントの使用量を削減し、コンクリートのエンボディド・カーボンを低減します。
- 木材の活用: 適切な森林管理下で生産された木材は、成長過程で炭素を固定しており、製造時のエネルギー消費も他の主要構造材に比べて小さい傾向にあります。大断面集成材やCLT(直交集成板)など、新しい木質構造技術の活用は有効な選択肢となります。ただし、木材の長期的な炭素固定効果を評価する際は、製品寿命、メンテナンス、建物終了時のシナリオ(焼却かリサイクルかなど)を考慮する必要があります。
- 再生材・リサイクル材の活用: 再生骨材を使用したコンクリート、リサイクル鋼材、再生プラスチック建材などの活用は、新規材料の製造に伴う排出を削減します。特に鋼材は電炉材の使用比率を高めることが有効です。
- 環境負荷の低い断熱材の選定: グラスウールやロックウールに加え、セルロースファイバーや木質繊維系断熱材など、リサイクル材利用や製造時のエネルギー消費が比較的少ない断熱材の選択肢が増えています。
- 製品環境宣言(EPD)の参照: 建材メーカーが公開するEPDは、製品のライフサイクルにおける環境負荷データを透明に示しています。EPDを活用することで、複数の建材オプションのエンボディド・カーボンを比較し、より環境性能の高い建材を選択することが可能になります。
3. 構造システムの選定と最適化
構造システムは建築物に使用される材料の量と種類に大きく影響します。例えば、鉄骨造、鉄筋コンクリート造、木造では、単位体積あたりのエンボディド・カーボンが大きく異なります。単純な比較だけでなく、建物のスパンや高さ、用途に応じた構造効率も考慮し、構造エンジニアと密接に連携しながら、全体としてエンボディド・カーボンが最小となる構造システムを検討することが重要です。既存ストックの活用や、部分的な補強による長寿命化も有効な削減戦略となります。
施工段階および運用・解体段階への視点
設計段階でのエンボディド・カーボン削減努力に加え、施工段階での取り組みも重要です。現場での建材の加工ロスや廃棄を最小限に抑えるためのプレカットやモジュール化、効率的な現場管理、そして低燃費・低排出の建設機械の使用などが挙げられます。
また、ライフサイクル全体でのエンボディド・カーボン削減には、建物終了時ステージ(C1-C4)の考慮も不可欠です。解体時の分別を容易にする設計(Design for Deconstruction: DfD)や、建材の再利用・リサイクルを前提とした設計は、将来的な廃棄物量削減と新規建材製造に伴う排出削減に貢献します。さらに、モジュールDに示されるような、将来の再利用やエネルギー回収による便益を考慮することも、ライフサイクル全体での環境負荷評価においては重要な視点となります。
将来展望と専門家の役割
エンボディド・カーボンの削減は、建築分野における喫緊の課題であり、世界的に規制や評価手法の標準化が進んでいます。今後、建築プロジェクトにおいてエンボディド・カーボン評価が義務付けられる、あるいは重要な評価項目となる可能性は高いでしょう。
建築設計に携わる専門家は、LCAに関する知識を深め、設計ツールやデータベースを活用し、建材メーカーや施工者と連携しながら、エンボディド・カーボン削減に向けた最適な解を見出す役割を担います。単に運用時のエネルギー消費を抑えるだけでなく、建材の選択、構造システムの検討、施工方法、そして将来の解体・再利用までを見通した統合的なアプローチが、持続可能な建築の実現には不可欠です。エンボディド・カーボンに関する知見と実践能力を高めることは、専門家自身の価値向上にも繋がり、新たなビジネス機会を創出する可能性も秘めています。
まとめ
建築物のエンボディド・カーボン削減は、気候変動対策においてますます重要性を増しています。設計者はライフサイクルアセスメント(LCA)に基づき、初期設計、建材選定、構造システム検討の各段階で積極的にエンボディド・カーボンを評価し、削減に向けた戦略を実行する必要があります。低エンボディド・カーボン建材の活用、再生材・リサイクル材の積極的な採用、そして解体・再利用を考慮した設計は、この目標達成に向けた具体的なアプローチです。建築分野の専門家は、これらの技術的知見と評価手法を駆使し、ライフサイクル全体で環境負荷を最小化する建築の実現に貢献していくことが求められています。